「肌色」という表現の使用が減ってきていると感じる人も多いかもしれません。
子どもの頃に使ったクレヨンの色で「肌色」と呼ばれていたものが、今では「うすだいだい」と表現されることが一般的です。
共通の色の認識があれば特定の言葉を使っても問題はありませんが、多様な肌色を持つ人々が増えている今、一つの言葉で色を指すのは時として不適切になることがあります。
この記事では、「肌色」という言葉の代わりになる新しい表現と、それらの変更がなぜ必要とされているのかについて詳しく解説します。
代替表現としての新しい肌色、その意味と色の解説
肌の色は人によって様々であり、一つの言葉で表現することはしばしば適切ではありません。
まずは、「肌色」という一般的な表現の代わりになる新しい色名と、それらの色が持つ意味や背景について解説します。
薄橙(うすだいだい)
最初に紹介する色は「薄橙(うすだいだい)」です。
この色名は、生き生きとした明るいオレンジ色を持つダイダイオレンジという果物に由来していますが、その色合いはダイダイオレンジよりもやや控えめです。
オレンジは、鮮やかな黄色と赤の中間色であり、非常に目を引く色です。
ペールオレンジ
次に紹介する色は「ペールオレンジ」です。
この名称は英語の「pale」(薄い)に由来し、明るいオレンジ色を指します。
「うすだいだい」はやや赤みがかったオレンジ色で、一方、「ペールオレンジ」はより淡いオレンジ色です。
これらの色は同じ色系統に属していますが、明るさと色の濃淡に違いがあります。
ベージュ
もう一つの肌色の代替語として挙げられるのが「ベージュ」です。
ベージュはフランス語から来た言葉で、淡い黄色や茶色の意味を持ちます。
日本工業規格では、ベージュは淡い灰色の赤みがかった黄色と定義されています。
日常生活では、化粧品で見る「ライトベージュ」や「ピンクベージュ」などの形でよく使用され、肌色として非常になじみやすく自然に感じられる色です。
「肌色」の言葉が変わる歴史的経緯
「肌色」という言葉は、もともと日本人の肌の色合いを示す淡いオレンジ色系の色名として使用されていました。
江戸時代以前の日本では「宍色(ししいろ)」とも呼ばれており、宍は古くから食用にされていた動物の肉を指します。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」の影響でこの用語が避けられ、「肌色」という表現が普及し始めました。
大正時代に自由画教育が導入されたことで、絵具や色鉛筆の需要が増え、昭和初期から子供たちが人の顔を描く際に「肌色」という色が広く使われるようになりました。
しかし、この表現は時代と共に徐々に使われなくなっていきました。
「肌色」という言葉が問題視される背景には、世界的な人種多様性への認識の高まりがあります。
1950年代から1960年代にかけてのアフリカ系アメリカ人公民権運動がアメリカで肌の色に関する言葉の使用を見直すきっかけとなり、それが日本にも影響を与えました。
これにより、教育教材や公共のメディアで使用する色名に多様性が求められるようになり、英語で人の肌色を表す「flesh」が「peach」に変わるなど、肌色を一つの色に限定することの適切性が再考されました。
「はだ色」の表現変更に至った背景とは
日本では長らく人種差別に対する認識が低いとされてきましたが、近年では多民族国家としての自覚が高まり、社会に変化が見られるようになっています。
特に、「はだ色」という表現が単一の肌色を指すものとして差別的な意味合いを持つ可能性があるとの指摘が、消費者や教育関係者から提起されています。
この結果、2000年代初頭からこの問題に対する具体的な変更が要求されるようになりました。
この動きを受けて、主要なクレヨンメーカーであるペンテルは製品名を「ペールオレンジ」に変更し、サクラクレパスも「うすだいだい」という名称を採用しました。
これらの変更は、色鉛筆や絵の具を含む多くの画材で「はだ色」という名前が使用されなくなるきっかけとなり、より包括的で差別を避ける方向への一歩となりました。
さらに最近では、文具メーカーが子供たちが多様な肌の色を表現できるようにする新しい取り組みを始めています。
たとえば、24色セットのクレヨンが販売されており、これにはさまざまな肌色が含まれています。
これにより、子供たちは実際の人々の肌の色に合わせて絵を描くことができるようになります。
このような製品は、学校での授業や活動において多様性を認識し、尊重することを促す重要なツールとして機能しています。
「はだ色」からの言葉の変更とその意義
「はだ色」という色名の変更は、商品の色の表記を現代の多様性に合わせて更新する動きの一環です。
日本では、肌の多様性や人種に関する認識が依然として十分でないという課題が残っています。
色名の変更は、個々人の肌の色が一様でない現実をより正確に反映し、尊重するための重要な一歩となります。
この変更は、言葉を通じてより公平な社会を目指す試みの一部であり、適宜「肌色」という表現を使用する際には、その背景と意味を理解し、考慮することが求められます。
このように、言葉の選び方一つによっても、社会の包摂性が高まることが期待されます。